こんにちは、井登です。久しぶりの寄稿となる今回は、先日5月5日(木)〜8日(日)の日程で、米国ジョージア州アトランタで開催された情報設計(Information Architecture=IA)を主題とする国際会議”IA Summit2016”に出席したレポートになります。
3年前のボルティモア大会、昨年のミネアポリス大会につづいて3度目の出席となる今回は、“A BROADER PANORAMA”を年次テーマに据えた非常に意欲的な話題提供が数多くなされました。
デザインや情報をテーマにした他の国際会議と同様に、このIA Summitでも、毎年初日の冒頭に話される基調講演がその年の最も重要な話題と議論の方向性をある程度決めると言っても過言ではありません。
今年最初の講演は、20年以上にわたりさまざまな組織に対してデジタルにおける情報統治(デジタルガバナンス)や複数のステークホルダーが存在する組織の均衡維持や運営をコンサルティングしているLisa Welchmanによって行われ、彼女は自身の講演のなかで、“Inclusiveness in the Digital Maker Community”というテーマを提示しました。
Lisaは講演冒頭で、TCP/IPの発明者でインターネットの父の1人とも言われているVint Cerfがかつて語った、
現実世界で起きるすべての悪しき出来事は、今まさにネットの世界でも起きている
という言葉を引用しました。
我々は過去数20年あまりにわたってインターネット上に現実世界の写像を創りだしてきましたが、Lisaは「それはすべての人にとって優しく、望ましいものではなかったのではないか?」という点に言及。リアルとネットの双方の社会が良い方向に進むためには、ダイバーシティ(多様性)とインクルーシブネス(非排他性)が重要であることを提言しました。
そして、それは意識しないで漫然と取り組めることではなく、常に“意図的であること”が欠かせないことについても強く主張していました。
彼女の話に僕自身が強い共感を持ったと同時に、日頃自身がクライアントに対してUX戦略やサービスデザインに関する実務支援やコンサルティングを行うなかで同じくぶつかる課題だと感じたのは、問題を明確化して、それにフォーカスさえしていけば自動的に解決に結びつくわけではない、という点です。
内外からの変化を起こさない限り問題はいつまで経っても問題のまま目の前に横たわるだけなので、組織や個人がそれぞれの個性や考え、価値観や文化に敬意を払い合うことで互いのカベを超えて、意識的にダイバーシティとインクルーシブネスによって問題を解決することが重要である、という主張に、これからの組織のガバナンスにとって大切なヒントを得ました。
今回の開催地であるジョージア州という土地柄を意識してのことかわかりせんがLisaの『医学書では白い肌に対する(医療的)処置法と、他の色の肌に対する処置法を分けて書いたりはしません』という言葉がとても印象に残っています。
Lisaが会議冒頭で口にした”ダイバーシティ”と”インクルーシブネス”というキーワードは、以降の他のスピーチやディスカッションでも度々取り上げられることになります。
IA Summitはおよそ3つのテーマに属する講演やワークショップがパラレルトラックで並行に行われるため、ひとりで全てのセッションに出席することはできません。ある程度事前に自分が興味のあるものをチェックして聴講や参加をすることになります。
今年も多岐にわたる話題があちこちで繰り広げられましたが、そのなかで印象に残ったものを1つご紹介しましょう。
サービスデザインで有名でAdaptive Path社の元共同創業者である、Peter Melholtzによる”12 Qualities of Effective Design Team”というセッションです。
Peterは私が例年出席している他のデザインカンファレンスにもよく登壇する著名人で、毎回何かしらのトレンド提起を行う人なのですが、今回も面白い示唆を提供してくれました。
彼は冒頭に「なぜ多くの企業がデザインへの投資をますます増やしているのか?」という問いを提示し、その答えとして、「すべての製品はもれなくサービス化している昨今を考えると、買われた後にどれだけ持続的に顧客への価値提供をできるかが、企業価値の向上に欠かせなくなっている。それを実現できるのがデザイン発想だ」という提言を行いました。
講演では、そのような成果を生み出すデザインチームをいかにしてつくり、価値の最大化を行うか?という点において重要な12の重要事項を提案してくれました。
その12の重要事項は以下のように、大きく”Foundation” “Output” “Management”の3つのクライテリアに分かれいると、彼は主張しています。
Foundation
Output
Management
ざっと眺めるとどれも実に重要な要素であると思いますが、個人的には“Management”のクライテリアに列記されている4つに非常に共感しました。
実際の製品やサービスの利用者である顧客やユーザーに対してより良い価値提供を行うためには、それら良質な提供価値を発想し、実現し、運用的に提供を行う自社の社員自身が企業に対して強い信頼感と共感を持っていて、尊重されていなければならないと、僕自身が日頃UXデザインやサービスデザインのプロジェクトを推進する際に強く感じます。
デザインの対象を、偏狭な視点で『ユーザー(=直接 的なお客さま)』だけにフォーカスし過ぎると、全体的なサービスシステムのどこかが必ず破綻します。
端的な例が、一時期話題になったファストフード店などのワンオペ問題ではないでしょうか?
顧客への提供価格を下げるために、人的な負荷を革新的に低減・効率化するためのシステム設計がなされていない状態で、単純に人的リソースなどの負荷を上げることのみでやりくりをしようとしても、早晩そのやり方では持続性を失います。
これからのデザインは、ユーザーを単に製品を買ってくれる「直接のお客さま」のみならず、企業にとって最も重要な存在である「自社の社員」や、「取引先企業」、ひいては企業自身が長い間存続していくために重要な関わりをもつ「地域社会」をも、広い視野で『ユーザー』として捉えることが重要です。そうした視野をもってデザインすることが、持続的で、数多くのステークホルダーにとって良い価値をもたらす結果を得ることにつながるのではないでしょうか?
そういう点で、今回のPeterの提言は非常に意義深いものであったと感じています。
今年、1年ぶりにこのカンファレンスに出席して感じたことが2つあります。
1つには、このコミュニティに集う人々の多様性です。
ハードコアなIAだけでなく、徐々に比率を増やしつつあるUX領域の専門家はもとより、認知心理学や行動経済学の領域、そしてゲームメカニクスや人工知能の領域に携わっている専門家まで、あくまで情報設計をコアスタディにしつつも、非常に幅広い、そしてデジタル社会の今においてまさに必要とされる旬の領域の専門家が集まっていること。そして、それぞれの専門性に敬意を表し合いながら立場を超えて今後やってくる世界に目を向ける議論に満ちた非常に刺激的な場であったと思います。
2つめは、毎年新しいスローガンや考え方の視座を提起する場ではありつつ、単に新しいことばかりだけでなく、ベーシックなものやオーセンティックなものに立ち返り、それをまた新しい視点で組み直していく(Reframing)ことへの意味を見出そうとする姿勢の大切さです。
その象徴的な動きを、”Taxonomy(タクソノミー)”の今の視点での再解釈、リフレーミングの動きに感じ取りました。
タクソノミーとは元々は生物学における分類学のことで、ある要素に意味を見出し、持たせて、属性を分類し、構造・体系化していくための技法で、情報設計においてはその基本をなす大変重要な基礎素養でもあります。
(具体的にいえば、ある情報やコンテンツはWebサイトの中ではどのカテゴリに分類されるべきか?どの情報と相関関係[大カテゴリや中カテゴリの関係など)を持たせるべきか?]というようなことを考えることです。)
図書館における蔵書の分類・体系化や、Webサイトの構造設計を起点に進化してきたIAの世界においては非常に重要なものですが、このタクソノミーの世界においても近年変化の胎動が起こっています。
たとえば、”タギング”や”キュレーション”に代表されるように、メタレベルでの情報分類や属性付与をユーザー自身が自由に行えるようになったり、セマンティックWebに代表されるように情報の意味性をWeb=テクノロジー側が自動的に文脈解釈し、判断するようになっているデジタルの世界での流れです。
ユーザー=生活者にとって情報量が爆発的に増大していることと、スマホの普及に伴い、本や新聞のような紙面やPCを主体とするブラウザといった、比較的これまでは情報を発信する側にとって制御しやすかったメディアインタフェースからの脱却・逸脱が急速に進んでいる流れのなかで、情報を設計する側の意味性や都合と、ユーザーの持っている意味性や都合が、ますますダイナミックな情報流通のなかでなされないといけない状況になっていることがそれを後押ししているのでしょう。
たとえば今回登壇したEtsy(生活者同士が自作のクラフト雑貨などを取引きし合うC2Cサイト)でシニア・プロダクトデザイナーを務めるJAIME DELANGHEの講演は今の時代のタクソノミーのあり方を明示する興味深いセッションでした。
出品者=作家でもあるEtsyのようなサービスプラットフォームのなかでは、Esty側が解釈する商品(作品)のカテゴリと、出品者にとって適切だと思えるカテゴリにはかなりの違いがあるそうです。
たとえば、Cozy(ポットやカップに被せるようなニット製のカバー)1つとっても、作家の思い入れやそのアイテムに対して考えている意味によって非常に多様な属性があり得る、というようなことです。
これまではそれをなんとか自社側で整理・体系化しようとしていたけれど、昨今ではそれを潔くやめてしまった、という事例です。
Estyはアイテムに対する属性付与と体系化に“完璧性”を求めることを諦め、出展者に主体性を持たせることにしたそうです。
出品時に自身でカテゴリを決めてもらうことだけでなく、出品後のカテゴリ変更申請に多大な柔軟性を受け容れることで、常にユーザー側の文脈がタクソノミーに反映されるようにし、かつそのデータを蓄積もしながら基盤となる属性情報に常にフィードバックを行ってるとのこと。
まさに、タクソノミーの民主化だな、と感じた事例でした。
そして、専門家コミュニティにおけるこのようなホットなトレンドが、即時に求人のトレンドにも反映されるのがアメリカの面白いところです。
カンファレンス会場に常設されている求人ボードでは、タクソノミストの求人がたくさん掲出されていて、ZapposやNETFLIXなど今をときめく企業が優秀なタクソノミストを募集していました。
「自分たちの仕事は社会や世界を良いものにするために求められている!」
と常に前を見て自身の価値主張ができるコミュニティは、非常に大切だと感じます。だからこそ、毎年必ず新しいトピックが提示され、みんなでそれを大切に実践することで、数年後に当たり前のこととして実現できているのでしょう。
そのことを、3年前の年次テーマである”Reframing IA“から2年前のテーマである”Reclaiming IA”を経て、今年の”A BROADER PANORAMA”という壮大でビジョナリーなテーマへの変遷が物語っているのかもしれません。
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来年は、3月22日〜26日にカナダのバンクーバーで開催が決まっています。
ご興味ある方がいらっしゃったら、ぜひ一緒に出席しませんか?
日本からの参加者同士による議論や意見交換も、このカンファレンスの刺激的な楽しみの1つでもあります。めまぐるしく変化する“情報”をとりまく動きと進化を、最先端の専門家が集まる現場で是非感じましょう。
それではお粗末さまでした。
ごきげんよう。